ニューヨークには9年くらい住んでいた。その前にはカリフォルニアに9年ほどいた。そして今は、奄美大島にいる。

私にとってニューヨークは、ファーストクラスの芸術と、優しくてタフでまっすぐでズタズタに傷ついた人にたくさん出会った場所だった。まるで動物の様に他人のことには特に関心を持たず、とにかく自分の目標だけに向かって邁進する人たちにもたくさん出会った場所だった。

そんな場所で、私は会社員としてとにかくよく働いた。”よく”働けたかは分からないが、たくさん働いた。そして昼も夜も東海岸も西海岸も日本時間も関係のない時間の流れの中で、自分の体力と精神力の限界を見定めることができないまま、私はいずれ壊れた。

愛するものはあり、愛する人もいた。でも日々の生活の営みはなかった。プライドと負けん気と焦りはずっとあったけれど、本当の自尊心は欠けていた。時間とホッとする経験を、銀行口座に振り込まれるお金と交換しながらせっせと回し続けた車輪はついに外れた。

それからしばらくして、壊れた自分が癒えていく過程で奄美大島と出会った。

まったく手入れが行き届かない私という劇場から、”冗談じゃないわ” と言って立ち去り、しばらく距離を取っていた【音楽さん】と【歌さん】が、”またあんたがやるって言うんなら戻ってきてやってもいいわよ” と帰ってきてくれたのは、初めての奄美を訪れた今から3年前のことだった。

深い自然のめぐりを感じながら、そのめぐりと共にそこで生きる人たちの姿を、まるである別の空間に迷い込んだように眺めていた時間が、いずれ自分の日常となっていった。

奄美大島が私を癒やしたのか。それとも、必要だったのは時間だけだったのか。何はともあれ、私はそれを『島ぐすり』と呼んだ。

劇場の照明器具と音響装置に積もった埃をはたき、破れた緞帳を整え、水道屋さんと電気屋さんを呼び、客席やロビーやトイレの掃除をし、その合間に仲間を呼んで演目について相談した。

そんなことをしながら、このアルバムができた。 

(2020年 春)