私は歌をうたう。20代のはじめまでは自己救済とコミュニケーションの手段として歌っていたけれど、ふとしたきっかけで「なぜ私は歌うのか」を考え始めてからずっと、そのことを自分に問い続けているめんどくさいタイプの歌い手だ。
答えに至ったというのは言い過ぎだけれど、今は「伝えるために」歌っていると言える様になってきた。
では、私は何を伝えたいのか。人は、自分が体験したことから得た確信以外に本当に伝えられることは限られていると思っている。
だから、私が伝えたいこと、伝えようとすることはシンプルだ。
今、生きている人にはみんな、できる限り生きることを選んで欲しいということ。勝たなくてもいいし、負けると認識する必要もないから、ただ生き延びることを選んで欲しいということ。そのためには、必要であれば逃げて逃げて逃げまくればいいということ。そのためにだったら誰にだって、親や兄弟、友人でなくたって頼ってもいいんだということ。
命は、社会なんかよりも大切なのだから。
私は、一度はほぼ完全に壊れかけたけれど、自然のめぐりを目の当たりにする場所に自分を置いて、どうやって自分の価値を周りの人と交換するかを考え、どれほどの人の苦難の末に自分が存在しているのかについて思いを巡らせながら、周りの人に助けられてなんとか生き延びてきた。
”生きていればどうにかなる”
そんな言葉が通用しない瞬間がくることがある。1人ではどうにもならなくなることがある。でも、数人が関わったらどうにかできることがある。関わってくれる人は絶対にいる。生きていたくないと思うのは、存在の『価値』を探しているから。それは『交換』に対する欲求で、生きていたら人に差し出せるものはある。
そして、今存在する私たちが価値とエネルギーの循環にもっと目を向けることができたら、もっとたくさんの命が命のままであり続けることができる。
そんなことを私は伝えたい。